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高松高等裁判所 昭和56年(う)151号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、徳島地方検察庁脇町支部検察官事務取扱検事和田博作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人吉田正己作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

検察官の所論は、原判決は本件業務上過失致死傷被告事件につき、被告人の過失を否定し犯罪の証明がないとして無罪を言渡したが、原判決は証拠の取捨選択及び価値判断を誤り、かつ不合理な推論をした結果事実を誤認したもので、破棄を免れない、というのである。

一  そこで検討すると、《証拠省略》を総合すれば、本件事故現場付近の状況及び事故の態様について次のとおり認められる。すなわち、

本件事故現場付近は、幅員約八・一メートルのアスファルト舗装された県道がほぼ東西に走り、これに北東から南西に向けて町道がX字型に交わり、その北東角に長江ブロック工場(以下単に工場という。)がある。右県道は西に向かって約二パーセントの上り勾配となっているが、西方約一六〇メートルないし一七〇メートルは直線路でその間の見通しはよく、車両の交通量も比較的多く、最高速度が時速五〇キロメートルと制限されていた。右工場への出入には、その敷地が道路より一段低くなっているため、県道と町道との角切り部分から敷地内へと幅員約三・六メートルのコンクリート製の通路が、県道から北東へ六〇度の角度で下り勾配に設けられていた。

被告人は、昭和五四年九月二四日午後五時二〇分ころ普通貨物自動車(二トン積、車長四・六八メートル。以下単に被告人車という。)を運転し、かなりの降雨の中をワイパーを作動させ県道上を時速約四〇キロメートルで西進し、工場へ入るためその三、四〇メートル手前から方向指示器で右折の合図をするとともに徐々に減速して中央線に寄り、対向して進行してきた一台の車と擦れ違ったのち、少し進みほとんど停止寸前の状態で前方を見た時、対向してくる近藤博幸運転の普通乗用自動車(以下単に近藤車という。)を発見したが、自車が先に右折通過できると考えて右折を始め、対向車線を横断し、自車の前部を工場敷地へ通じる傾斜した通路に進入させ、自車後部を一部対向車線内に残したところで近藤車が自車の左側面に激突し、その結果公訴事実記載のとおり右近藤外二名が死亡し、二名が傷害を負った。

二  原判決は、被告人は近藤車を前方約六〇メートルの地点に発見し時速約一〇キロメートルで右折した旨認定したうえ、被告人車の右折開始地点から右折を完了し路外に脱するまでの距離が七・一五メートルであったから、右折を完了するまでに要する時間は二・五七秒であり、他方六〇メートル先にいた近藤車が被告人車の右折地点に到達するのに要する時間は、近藤車の速度が時速七〇キロメートルの時は三・〇八秒であり、時速八〇キロメートルの時は二・七秒であるから、仮に近藤車の速度が時速八〇キロメートルとしても被告人車はわずかの時間差ながら既に右折し終えていて両車が衝突することはなく、これからみると両車が衝突した本件においては近藤車は時速八〇キロメートル近い速度で走行していたものと推認されるとし、本件事故時における道路状況のもとでは、被告人にかかる高速で走行してくる車両のあることをあらかじめ予測してその安全を確認すべき注意義務があるとはいえず、被告人に過失は認め難いという。

これに対し、検察官の所論は、被告人車が右折し終わるまでに走行する距離は約九メートルないし一三メートルであって、その速度が時速一〇キロメートルであれば、右折に要する時間は三・二秒ないし四・六秒であり、本件ではさらに右折開始時に被告人車はほとんど停止に近い速度であったから、加速して時速一〇キロメートルに達するまでの時間も若干加算しなければならず、これから考えると近藤車の速度が時速七〇キロメートルでは衝突はほとんど避け難く、時速六〇キロメートルでも衝突の危険性が大であるというのである。

(一)  そこでまずこれらの点について検討してみると、前記のとおり事故現場付近の県道の幅員は八・一メートルであるが、昭和五四年一〇月一日付実況見分調書によれば近藤車が通行していた車線の幅員は道路中央から外側線(路端から〇・八メートルのところに引かれている)まで三・三メートルであり、他方被告人車の車長は四・六八メートルであるから、被告人車が県道を直角に横断走行したとしても、これを完了するまでに被告人車が走行する距離は被告人車の車長と対向車線の幅員とを合せた七・九八メートルとなり、これから考えても被告人車の右折走行距離を七・一五メートルとする原判決の認定は首肯し難いといわなければならない。本件では被告人車は道路を直角に横断したのではなく、道路中央線に平行していたところから右折横断したのであるから、被告人車は弧を画がいて走行するのであって、直角に横断するのと比べて走行する距離は長くなるはずであり、しかも前記のとおり被告人車が進入しようとした工場敷地内へ通じる通路は北東方向へ六〇度の角度で取付けられていたのであるから、直接通路へ入るには右方へ大きく回ることが必要であり(被告人の昭和五四年九月二四日付司法警察員に対する供述調書等)、被告人車の走行する距離はさらに長くなると考えられるのであって、原判決の認定が不当であることは明らかである。右折に要する被告人車の走行距離を正確に把握することは困難であるが、右の検討に加え原審第一回検証の際の走行距離及び当審における検証の際の走行距離をも参酌して考えると、少なくとも九メートル程度は要するものと認めるのが相当である。

(二)  次に被告人車の右折時の速度についてみると、原判決認定にかかる時速約一〇キロメートルというのは、被告人の司法警察員に対する各供述調書及び原審第四回公判における供述に従ったもので、これ以外に速度に関する証拠はなく、結局被告人自身の判断にもとづくものであるが、原判決の右認定を誤りとすべき資料もない。しかしこの判断というのも、直進する状態の車の速度ではなく右折といった特殊な進行方法での速度に関するものであって、もともと正確を期し難いうえ、右折の始めは検察官の所論の如く速度はこれより遅く、反対に途中においては弁護人の所論の如くこれより速い可能性もあることは考慮に入れておく必要がある。

(三)  次に右折開始時の近藤車との距離について検討すると、被告人は事故当日の実況見分において「約六一メートル先に近藤車を発見」と指示し、翌二五日の実況見分において「最初の車と対向したところで前方一〇一・六メートルの距離に近藤車を発見」「右折開始時近藤車は六〇・六メートル前方」と指示し、事故当日の司法警察員の取調べにおいて「四〇メートルから五〇メートル位の距離はあると思った」旨供述し、一一月二二日の同取調べにおいて事故の翌日の実況見分の際の指示と同じ趣旨の供述をし、一二月二一日の検察官の取調べにおいて「六一メートル先」と供述している。このように捜査段階における被告人の認識は、事故当日の供述を除いて近藤車との距離が六〇メートル位で一貫しており、これは実況見分に立会って現場で指示して得られた結果にもとづくもので措信し得ると考えられ、これに対し、四〇メートルないし五〇メートルとの供述は、被告人車の助手席に同乗していた真鍋雅春の司法警察員及び検察官に対する供述調書の内容と一致するが、いずれも現場に臨んで確認していない目測にもとづくもので、前記供述等と比べれば信用性は低いと考えられる。また、被告人は原審の第一回検証の際対向車を約一〇〇メートル先に発見と指示し、原審公判において一〇〇メートルあるいは七、八〇メートル先に発見した旨述べているが、他方右の対向車は白色であって笹色の近藤車ではなく、近藤車はこの車を追い越して衝突したのではないかと思う旨捜査段階では全く述べていないことを述べたり、当審において右の供述を翻すなどしており、被告人の原審における近藤車との距離に関する供述も信用できない。

(四)  右にみてきたところによれば、被告人車が右折を完了するまでに要する時間は、九メートルの距離を時速一〇キロメートルで走行するので、概ね三・二四秒であり、他方六〇メートル前方にいた近藤車が右折地点に到達するまでに経過する時間は、時速七〇キロメートルの時には三・〇八秒であって両車の衝突は避け難く、時速六〇キロメートルの時でも三・六秒であってかろうじて衝突は避けられるとしても近藤車の運転を誤らせる危険性が大であったといわなければならない。

そうすると、被告人車の右折に要する時間を二・五七秒とし、近藤車の速度が時速八〇キロメートルでも計算上両車が衝突しないことを根拠に近藤車は時速八〇キロメートルに近い高速度で走行していたと推認した原判決の判断は既にこの点において維持することができない。

なお、当審において、徳島大学工学部教授稲田貞俊作成にかかる鑑定書が提出され、これによれば、本件衝突前制動措置を講じる前の近藤車の速度は時速六五キロメートルないし七〇キロメートルであるとの鑑定の結論が出されている。右鑑定は、記録にあらわれた事故現場の状況や両車両の破損状況をもとに力学的考察を加えてなされたもので、鑑定の資料、手段、方法、経緯等に格別疑問をはさむべき点はなく、前記の検討の内容とも矛盾しないのであって、その鑑定結果には十分信頼を措くことができるものと考えられる。

三  そこで進んで被告人の過失の有無について判断する。

道路外の施設へ入るため道路を右折しようとする車両は、対向して直進する車両の正常な通行を妨げてはならないことは、道路交通法二五条の二第一項の規定するところである。従って、右折車の運転者としては直進対向車の有無、動静に注意し、同車との安全を確認して進行すべき業務上の注意義務がある。しかし、直進対向車に優先通行権があるといっても、いかなる場合においてもこれが肯定されるわけではなく、直進車が異常な高速度で進行する場合にはもはや優先通行権を認めることはできず、右折車の運転者としては対向直進車が異常な高速で接近してくることを予想して右折の安全を確認すべき義務はない。しかし又直進車に優先通行権が認められるのは、制限最高速度内で走行している場合に限られるわけで近く、当該道路の状況に応じある程度速度が超過しても、通常予想し得る程度であればなお優先通行権があるというべきである。

これを本件についてみると、前記のとおり、近藤車は時速六五キロメートルないし七〇キロメートルで走行していたものと認められ、事故現場付近は最高速度が時速五〇キロメートルに制限されていたので、一五キロメートルないし二〇キロメートル速度超過しており、被告人は同車を六〇メートル前方に認めたのであるが、現場付近の県道は、周囲に田畑が残り相当の長さにわたって被告人車の方へ下り勾配となっている見通しのよい直線路であったから、右の程度の速度を超えて走行する車両のあることは十分予想し得るところである。そして、慣れた動作とはいえ、かなりの車長の車を運転し大きく右へ回って路外の工場敷地へ入るには、ある程度の時間の経過と動作を要するのであるから、六〇メートル前方に対向直進車を認めた場合には、同車が時速一五キロメートルないし二〇キロメートル程度超過して走行していることもありうることを予測したうえで、右折の際の安全を確認すべき注意義務を右折車の運転者に求めても困難を強いるものではない。

そうすると、被告人には右の注意義務を怠った過失があるというべきであるから、これを否定した原判決は事実を誤認しており、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和五四年九月二四日午後五時二〇分ころ普通貨物自動車を運転し、徳島県美馬郡美馬町字柿ノ木の県道を西進し、同所一六番地の三先の道路右側のブロック工場へ入るため右折しようとしたのであるが、西方から東進してくる近藤博幸(当時三〇歳)運転の普通乗用自動車を前方約六〇メートルに認めたのであるから、同車の動向を注視し、同車の通過又は待避を確認するなど同車との安全を確認して右折進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、自車が先に右折できるものと軽信し、漫然時速約一〇キロメートルで右折進行した過失により、自車左側面を右近藤車に衝突させ、その衝撃により、同人を同日午後五時五〇分ころ同郡貞光町字町二七番地北川病院において脳挫傷により死亡させ、同車に同乗していた同人の妻広美(当時三〇歳)を同日午後六時四〇分ころ同町字町五二番地永尾病院において全身打撲により死亡させ、同車に同乗していた同人の長女めぐみ(当時七歳)を同日午後一一時五分ころ同病院において、頭蓋骨骨折等により死亡させ、同車に同乗していた同人の次女典子(当時六歳)に加療約六週間を要する右上腕骨骨折等の傷害を負わせ、自車同乗の真鍋雅春(当時五七歳)に加療約一〇日間を要する右背部、左肩打撲等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は被害者ごとに刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で五個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重い近藤広美に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮八月に処し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栄枝清一郎 裁判官 川上美明 田尾健二郎)

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